1羽目、2羽目、3羽目と、今シーズンのルリビタキ(オス)は、どれも手強く、なかなか思うような撮影ができないでいました。一日に1度や2度は顔を出してくれるも、ほんの瞬間だけ、辛抱強く待っている時間の長さに比べあっけないほど短い時間です。
4羽目の今回出会ったルリビタキ(オス)も、やはり同様に警戒心は強いですが、私が見ている前でもヌルデなどの木の実を食べに結構頻繁に出てくれます。
近くに線路があって、電車や貨物列車が頻繁に通過しますが、慣れてしまっているせいか、それには全く動じないようです。
今シーズン4羽目のルリビタキ(オス) (YouTube)
野鳥の餌付け撮影について
ネット上には、餌付けされ、飼いならされているものと思われるルリビタキやその他の野鳥たちの写真や動画が非常に多く投稿されています。人間(撮影者)のエゴによって行われるそのような行為が野鳥にとってどれほど害になるかという認識がかなり薄いように思われます。
野鳥が生きている目的は、唯一子孫を残すということです。エサを食べ、水浴びをし、毎年同じ時期に遥か遠くの地まで渡るのも全てがその目的のために行われる行為です。
エサが豊富な年もあれば少ない年もある、危険な猛禽類や野猫などにに襲われることもある、森や林、草原などがどんどん少なくなっている現状から安心して過ごせる環境も少なくなっている。そんな厳しい現実に自然淘汰され、強いものだけが生き延びる。一説には生まれた野鳥が次の年まで生き延びるのは半数以下、その次の年にはその半数と、人間界では考えられない厳しい世界で必死に生きています。
そんな野鳥たちにエサを与える一見よさそうな行為がどうして害になるかというと、野鳥たちが本来持っている身の危険を感じてそれを避ける本能がどんどん失われてしまうからです。御馳走が目の前にあって、簡単に食べることができれば、他の野鳥と競争する必要もなければ、飛び回って探す必要もない。人間が側で見ている間は猛禽類もやってこないし、野猫などもやってこない。そんなことが長く続いてしまうと安心しきって人間の近くに平気で近寄ってくる。ところが人間は勝手ですから、必要なくなってしまったら簡単にエサやりはやめてしまう。人間に飼いならされてしまった野鳥たちは自然のエサ取りが下手で自分でエサを探せなくなってしまう。人間に慣れてしまった野鳥たちは、身の危険を感じる能力も失い、簡単に野猫の餌食になってしまう。
渡り鳥は一定の時期になると、そろって旅立ちますが、人間が与えるエサに頼ってしまった野鳥は、その時期を失ってしまい、皆と一緒に渡れなくなってしまう。冬鳥にとって日本の夏は厳しすぎ、夏鳥にとっては日本の冬は厳しすぎ、当然生き延びることはできません。
結局、撮影者のエゴで飼いならされてしまった野鳥の最後は悲惨な結果をもたらします。それでなくても数年しか生きられない野鳥たち、野鳥たちにとって害になるような行為は今すぐ止めましょう。
餌付け撮影は止めよう、止めさせよう!
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